平日 8:30~17:15
2012年2月26日
初期研修医1年目 Y様
【研修期間】2012年1月4日-1月31日
【研修目標】
1.小鹿野における医療の現状を知る
2.地域の市中病院における医療を知る
3.在宅での医療や保健、福祉を経験する
【研修内容】
1.院内研修: 総合診療科病棟、初診外来、心療内科外来、救急対応
整形外科手術、内視鏡検査、超音波検査
2.院外研修: 小児科研修(あらいクリニック、予防接種、漢方)
精神科研修(精神障害者作業所訪問)、緩和ケア勉強会
家庭訪問(訪問看護、保健師訪問)
診療所・訪問診療(長若)
健康増進(元気はつらつ教室)
●院内研修
研修が始まり、最初の前半は院内研修を中心に研修を行った。まだ医師になって1年にも満たない私ではあまり戦力になれていないと非常に申し訳なく思う部分も多かったが、スタッフの皆さんの連携にフォローされて1か月間多くのことを学ばせていただいた。まず、こちらの病院で驚いたのは入院している患者さんの平均年齢の高さである。80代から90代で、しかも入院以前には自宅内でのADLは十分自立していたという方が多くいらした。私が小鹿野での研修初日で入院を担当させていただいた患者さんは、96歳という高齢でありながら耳が遠いという1点を除けば認知力も非常に高く、入院前は自宅でADLが自立して活動していたという。このような患者さんはさいたま医療センターでみた中ではほとんどいなかった。さいたま医療センターは大学附属病院という性質上、どうしても急性期で緊急性の高い疾患の患者さんが多いということもあるとは思うが、さいたま市周辺でそのように元気な高齢者はほとんど存在しないのではないか。何故そういった違いが起こるのか、自分なりの回答を1ヶ月間考えた。それはやはり家庭-福祉-医療の連携の密度の違いによるところが大きいだろう。まず、家庭でのフォローアップがしっかりしている方が多い。一世帯に住んでいる家族が三世代にまたがることは一般的であり、介護の受け皿がしっかりしている。しかし介護する家族がやはり高齢であることも多いため、そこに福祉が介入していく。被介護者の為の福祉であるとともに、福祉の役割は介護者の疲労軽減という側面も強い。そして小鹿野町立病院の建物自体がそうであるように、福祉と医療は非常に近くに存在し、それぞれだけで完結しない。福祉サイドのスタッフからは現在福祉を受けられている方の現状が医療サイドに伝えられる。入院している患者さんについては医療者と福祉のスタッフとのあいだでカンファレンスが行われ、退院後の方向について入院中から詳細に考察され、退院後も福祉とともに往診としての医療が続けられる。そういったことが小鹿野町の元気な高齢者の存在を支えているのだと思う。さいたま市ではそういったことがないため、家庭、福祉を介さず個人から医療へ容易に直接繋がってしまう。それは職場に来ないことを契機に発症後1週間して発見された50代の単身の脳梗塞患者であったり、倒れているところを救急搬送され、潰瘍化して明らかに手遅れの乳癌を患いながら医療を拒むホームレスであったりする。それと比較し、小鹿野町の医療・福祉は非常に充実している。
そういったことから、小鹿野が1人当たりの医療費が県内最低であることも十分うなずける。しかし、小鹿野町の医療・福祉が問題ないとは言い難いだろう。それは、1人当たりの医療費が県内最低にならざるを得ない、ならなければやっていけないほどの超高齢化である。小鹿野町の人口は1万4千人、そのうち4千人程度が高齢者である。7人いたら2人が高齢者である。往診の際に車を止めた高齢者の為の福祉施設は、以前は小学校だったが生徒が少なすぎて廃校になったという。それが小鹿野町の現状をよくあらわしているのではないか。昔ながらのほのぼのとした温かさがあるとともに、冬の寒さや電車の通っていない山に囲まれた環境、そんなある種の閉塞感が高齢化に拍車をかけているのだろう。それらは解消することの難しいことではある。が、何らかの対策を立てていかなければ、いつかどうにもならない高齢化は小鹿野町の素晴らしい医療・福祉の許容量を超えてしまうのではないか。
とはいえ、ただ治療するだけが目的ではない、小鹿野町というコミュニティ、限られた医療の中でいかにして最期を迎えていくかということを目の当たりにして、考えさせられることは多かった。本人の意識レベルも下がり、ご家族も積極的な治療は望まず安らかに亡くなっていく患者さん。年齢などから考えても仕方なく、改善の余地はあるにせよ如何にしても遅かれ早かれそうなっていただろうとは思う。しかしながら病院への行き帰りの車の中、道路脇に立てかけられている故人の葬儀の立て札をみると、なんとも言えない喪失感がある。それは医療者としてみるヒトの生命活動の停止ではなく、知っている人間としての死なのだと思う。小鹿野での研修は改めて人が死ぬということについて考えるいいきっかけとなった。
その他院内での研修としては、普段行うことのない外来でcommon disease(多くは風邪)を診させてもらい、緊急性のある疾患の除外とともに患者さんを安心させて帰ってもらうという一連の流れを学ばせていただいた。また整形外科の手術にも入らせてもらい、脊椎麻酔や多くの手技をさせていただき、勉強になった。
●院外研修
院外研修として、往診、あらいクリニック、訪問看護、ケアマネージャー訪問、乳児・3歳児検診、高齢者いきいき教室の見学をさせて頂いた。
あらいクリニックは、日本でも珍しい気功を使うクリニックとして、小鹿野をローテーションする研修医の間でも密かな話題であった。そのため少し不安を抱きながら外来見学をさせて頂いたが、基本的には現代医学を逸脱せずに診察を行っていた。特に小児が専門ということもあり、小児の診察では全例に鼓膜の診察、中耳炎の有無を確認する姿勢は素晴らしいと思った。また、西洋医学では対応のできない、ただの倦怠感や抗生剤投与の必要のない(従って現代医学的には基本的に全く投薬の必要ない)風邪の患者さんに対して効果があるとともに安心させるという意味で漢方の投薬はいい選択肢だなとは感じた。ただし、実際に自分で処方するにはある程度責任を持って漢方を勉強してからにしなくてならないとは思うが。その他各種サプリメントなどの話や国内未承認の薬を数錠いただいたりと、勉強になるとともに面白い研修であった。
訪問看護、ケアマネージャー訪問、高齢者いきいき教室では、主に小鹿野の高齢者たちとそれに関わる仕事を見学させて頂いた。訪問看護としてお邪魔させていただいた際には、普段はどうしても医師対患者として関わることの多い90歳代の患者さんの病気以外のご自身のお話を聞くことができた。普段診ている高齢者の方々がどういった時代をどうやって生きてきたのかを知ることができ、医療や福祉の枠を超えて自分にとってよい社会勉強となった。
●小鹿野病院での研修を終えて
1カ月間の研修で、大学での勉強や教育、4月から今までの仕事で作られてきた医療者としての(一般とはやはり違った)自分の感覚に改めて気づかされた。普段、ほとんどが医師・看護師・患者で構成される病棟という隔離された状況のみで過ごしていると、やはり患者さんを治療するという1点に目が向きがちである。しかし、患者さんが生きてきた環境、今の状況、これからの生き方など目を向けるべき部分は多く存在する。小鹿野では多くの福祉・医療に参加するスタッフがおり、そういった治療するだけではない医療を学ぶことができた。それらは今後の自分の医師としてのあり方にも少なからず影響を与えていくことと思う。
最後になりましたが、このような素晴らしい研修プログラムを組んでいただいた小鹿野病院の方々やご指導いただいた小鹿野病院の関口先生、金子先生、福田先生、加藤先生、前田先生、大久保師長さん他看護師の方々、あらいクリニックの新井先生、他関係者の皆様、本当に1カ月間お世話になりました。ありがとうございました。
●よりよい研修にするために
基本的にはよい研修プログラムと思いますが、自分として気になった部分を書かせていただきます。今後の参考にしていただけたら幸いです。
まず、院外実習の配置が難しいと思います。研修中は病棟業務を行う場面が多いですが、午前中に院外実習があると、帰ってきたときには病棟業務が終わってしまっていることがあります。なので、院外実習はできれば午後(せめて10時過ぎから)にしていただけると、もう少しカルテを書くことができ、患者さんの方針を決められるかと思いました。
また、他の人も書いていましたが職員住宅にインターネット環境がないのは多少不便でした。職員住宅に新たに回線を引くのは金銭的な縛りで難しいかと思いますので、病院内の研修医室ででもインターネットに接続できるようにしていただければありがたいです。